いちばん素直なKaboは、もっと大きなものだったはずです。Are.naのチャンネルを読み込み、すべてのブロックを取得し、すべてのつながりを描いて、ネットワーク全体を一度に画面へ出す。数秒は壮観でも、その直後には使いものにならなくなります。
Kaboが目指したのは検索ではなく、散策の感覚です。だからグラフは、人が選択する速度で積み重なる必要がありました。チャンネルを開いても表示するのは少数のブロックとサブチャンネルだけ。ブロックを開いても、その所属先のうち数チャンネルだけです。この数字はAPIの制約ではありません。インタラクションそのものです。
同じ判断から、分析レイヤーも外しました。件数、ランキング、接続の深さはどれも技術的には正しい。でも、静かに考えるための道具をダッシュボードに変えてしまいます。Kaboを届けたいのは、ファネルを最適化する運用者ではなく、集め、調べる人たちです。
制限は、技術的負債や一時的な妥協として扱われがちです。けれど、ここでは制限こそがプロダクトです。歩く速度を守り、グラフを読みやすく保ち、好奇心が働く余白を残してくれます。